3月の「上の畑」

春まき大根のタネ降ろし

先日はキッチン裏の畑にジャガイモを植え付けましたが、今日は「上の畑」へと向かいました。「春まき大根」のタネを降ろし、併せて「分けつネギ」の苗を植えるためです。

この「上の畑」は、過去記事でも書いたように、かつての所有者であるH氏から譲り受けた大切な場所。わたしが自ら畝を立て、自然農の作法に則って作り替えてから、早いもので3年目の春を迎えました。キッチン裏の畑よりも一回り大きく、幅1メートル、長さ4メートルの畝が、3列 × 3畝の端正な姿で並んでいます。土壌もあちらとは異なり、指先を沈めれば驚くほど柔らかく、生命の温もりを湛えています。

いま、この「上の畑」では、昨秋に植えつけた野菜たちが、それぞれの歩調で息づいています。玉ねぎ、ニンニク、スナップエンドウ、ほうれん草、そして小松菜。冬の厳しい寒さを乗り越えた彼らの姿には、静かな力強さが宿っているようです。

玉ねぎの畝だけは、黒いマルチシートで覆うことにしています。自然農を始めたばかりの1年目、本にある通りにマルチを使わず、枯れ草をかき分けて定植したことがありました。しかし、冬を越す頃には野の草の勢いに負け、多くの苗が姿を消してしまったのです。収穫はわずかばかりという、ほろ苦い経験でした。それ以来、玉ねぎに限っては、その生命力を守るために黒マルチの力を借りることに決めたのです。中生種ゆえ、収穫は五月の半ば頃でしょうか。今からその膨らみが待ち遠しく感じられます。

ニンニクは、今年ようやく手応えを感じられるまでになりました。3、4枚の瑞々しい緑の葉が、天に向かって真っ直ぐに立ち上がっています。また、昨年10月にタネを降ろしたスナップエンドウも、冬の乾燥に耐え抜き、早い株には白く可憐な花が灯り始めました。これから春の光を浴びて、立派な鞘をいくつも実らせてくれることでしょう。

日本ほうれん草は、今がちょうど収穫の盛り。20センチほどに育ったものから順に、大地の恵みを食卓へ届けてもらっています。一方で小松菜は、冬の間、乾燥に打たれて葉を枯らしていましたが、ここへ来て鮮やかな緑が復活しました。自然の再生力には、いつも目を見張るものがあります。

謙虚な心で「タネを降ろす」

さて、本日のメインは春まき大根の「タネ降ろし」です。

「タネを降ろす」――。

このことばは、奈良で自然農を独自に始められ、多くの方を導いてこられた川口由一さんが好んで使われる表現です。単に「種を蒔く」という作業を指すのではなく、祈るような丁寧な心持ちで、命を大地に託す。そこには、人間が自然を支配しコントロールしようとする傲慢さを捨て、大きな循環の環にそっとお邪魔させていただくという、謙虚な精神が込められているように思います。自然を管理しようとする側に立つのではなく、自然の大きな流れの中に、おずおずと混ぜてもらう――そんな心持ちが、わたしにはしっくりくるのです。

「植物の生命力を大切にし、ほんの少しの手助けをする自然農では、畑の状態をよく見て、的確な時期に、的確な方法でタネを降ろすことで、小さなタネがやがて大きな実りをもたらしてくれる。」1

この一節に深く共鳴したわたしは、今日、自分のブログでも「種をまく」ではなく「タネを降ろす」と記したいと思いました。

作業はまず、畝の整理から始まります。冬を越した草を優しく取り除き、表面をなだらかに整えます。そこに40センチ間隔の筋を2本引き、20センチ置きに3粒ずつ、指先で丁寧にタネを置いていく「点まき」を施します。2センチほどの深さにタネを沈め、土を被せたら、鍬の背でそっと押さえます。

仕上げに、米糠と油粕を混ぜたものをたっぷりと振りかけました。その上を、冬の間、果樹の霜除けに役立ってくれた藁で覆います。こうすることで土の乾燥を防ぎ、発芽を促すのです。化学合成肥料は一切使いませんが、米糠や油粕といった自然の恵みは、数ヶ月後の成長を支える糧として大切に利用しています。

分けつネギの苗も、バケツの水に浸して潤したあと、一本ずつ丁寧に土へ差し込みます。畑仕事3年目ともなれば、身体が自然と動きを覚えているものです。作業は自ずと手が動き、午前11時半には、予定していたすべての作業を終えることができました。

小さな命が耕す土

昼食までには、まだ少し時間があります。空いている畝の草を刈り始めると、草むらの中に小さな大根の葉を見つけました。昨冬、収穫しきれなかった大根が、厳寒を耐え忍び、ひっそりと生き残っていたのです。

収穫し忘れた大根と愛用のノコギリ鎌

大きく育つことは叶いませんでしたが、冬草の影でじっと命を繋いでいたその姿。こうした小さな命や枯れた草の根が、微生物たちの力を借りて土の中に微細な空洞を作ります。これこそが、植物が健やかに育つために欠かせない「土の団粒構造」です。人間が機械で耕さなくとも、彼らが長い時間をかけて、豊かな土壌を「耕して」くれているのです。

少し萎び、食べるにはあまりに小さな大根の、愛らしい姿をしばし眺めてしまいました。効率や収量を求める大規模農業では見落とされてしまうような、けれど確かにそこにある命の尊さ。小規模な手作業の畑だからこそ出会える、ささやかな、しかし確かな喜びです。

明日の午後からは、慈雨の予報が出ています。雨が降る前にタネを降ろせたことに安堵し、改めて「上の畑」を見渡しました。まだ三つの畝が、空いています。

「今年はどんな夏野菜を迎えようか」

今夜はゆっくりとビールを傾けながら、大地の夢を描くことにしましょう。甲州の山々が夕闇に溶ける頃、わたしのささやかな栽培計画は、春の予感と共に膨らんでいくのです。

脚注

  1. 『はじめての自然農で野菜づくり』、川口由一監修、学研プラス、2016年第5刷発、p.46 ↩︎

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