ヒバリの写真(Pixabayより)

春を聴く、里山のバードリスニング

春を歌う、声のにぎわい

暦の上での春はとうに過ぎていても、ここ山里に本当の春がやってくるのは、風の角が取れ、朝晩の冷え込みが緩んでからのことです。

少しずつ気温が上がり、庭の隅に小さな花が顔をのぞかせると、わたしたちは無意識に心が弾んでしまいます。しかし、この季節の到来を心待ちにしていたのは、どうやら人間ばかりではないようです。

今朝、外の気温を確かめようと玄関の扉を開けた瞬間、頭上の空から、あるいは木々の梢から、数え切れないほどの小鳥たちの声が降り注いできました。そのにぎやかさは、まるで長い冬の沈黙をいっぺんに取り返そうとするかのようです。

ふと目を向ければ、家の前の空き地をキジが誇らしげに鳴きながら走り去り、わが家の庭では、ツグミがリズムを刻むように芝生の上をスキップしています。

「あちこちに鳥の音きけば春の来ぬ」 良寛

江戸時代の禅僧、良寛さんが詠んだこの一句が、今のわたしの心境をそのまま映し出しています。右からも左からも聞こえてくる鳥の声。それだけで、世界が色づき始めたことを確信するのです。

見えない歌い手への好奇心

しかし、これほどまでににぎやかなのに、いっこうに姿を見せてくれない「歌い手」たちがいます。茂みの奥深くや、高い枝の裏側に隠れ、透き通った声だけを届けてくれる主。

「この美しい声の主は、一体誰なのだろう」

一度そう思い始めると、胸の内にむくむくと知的好奇心が湧き上がってきます。

もし姿が見えているのなら、双眼鏡を取りに家へと戻り、スマホの野鳥図鑑を開き、わずかな記憶の断片を頼りにページをめくったことでしょう。けれど、姿が見えない以上、羽根の色やくちばしの形で確かめるわけにもいきません。

そこでわたしは、現代の知恵を借りることにしました。鳴き声から鳥の名前を判別できる道具はないものか。そうして見つけたのが、「BirdNET」というアプリです。

手のひらの上の市民科学

BirdNETは、米国のコーネル大学鳥類学研究所とドイツのケムニッツ工科大学が共同で開発した、人工知能(AI)による音声識別システムです。iOS版とAndroid版があるので、スマホをお持ちなら誰でも使えます。インターフェイスは英語ですが、鳥の名前は設定で日本語表示させることもできます。

使い方は驚くほど簡単で、スマートフォンで周囲の音を録音し、音声波形を選択して「Analyze」をタップするだけ。AIが位置情報と連動して、その場所・その時期に見られる可能性の高い鳥の種類を瞬時に特定してくれます。また、音声波形から同定された鳥はリスト化されて手元に残り、一種のコレクションとして育っていくのも楽しみのひとつです。

特筆すべきは、これが単なる個人の娯楽に留まらないことです。このアプリを通じて収集されたデータは、匿名性を保ったまま世界中の研究者に共有され、鳥類の生息域の変化や渡りの時期といった、生態調査の貴重な資料となります。

いわゆる「市民科学(シチズン・サイエンス)」の形です。それは、専門の教育を受けた科学者だけでなく、わたしたちのような一般の市民が、日常の観察を通じて科学的なプロセスに参加することを意味します。かつては膨大な時間と人手を要した大規模な生態調査が、今では世界中の人々のスマートフォンが、24時間休まず観測地点の役を果たすことで支えられているのです。

わたしたちが山里で「おや、珍しい声がする」とスマートフォンを向けるその何気ない好奇心が、実は地球規模の科学の進歩に寄与している。自分のささやかな発見が、大きな知の地図の一部に組み込まれていく。そう考えると、孤独な山里の暮らしの中でも、何だか不思議で温かな連帯感を感じずにはいられません。

バードウォッチングから「バードリスニング」へ

こうしたアプリに触れるたび、わたしはAIという存在が、もはや都市のビル群の中だけではなく、里山に暮らすわたしたちのスマートフォンにも深く浸透してきていることに驚かされます。

ニコンの双眼鏡MONARCH7
わたしの愛用の双眼鏡:
ニコンMONARCH7

わたしは以前から気が向いた時に、双眼鏡を手に鳥たちの姿を追う「バードウォッチング」を嗜んできました。自然の中に暮らす野鳥たちの鮮やかな羽根の色や、凛とした立ち姿をレンズ越しに捉えるのは格別の喜びです。

けれど最近、気づいたことがあります。わたしは常に双眼鏡を持ち歩いているわけではありません。それよりも、畑を耕している時や、書斎でペンを走らせている時、ふと耳に飛び込んでくる「鳥の声そのもの」に心を遊ばせている時間の方が、ずっと長いのではないか、と。

目で追うのではなく、耳を澄ます。それはさながら、「バードリスニング」とでも呼ぶべき豊かな時間です。

世間から少し距離を置き、簡素な暮らしを営む身ではありますが、AIを平和的に活用した便利な技術を拒絶する必要はありません。むしろ、目に見えない隣人の名前を知ることで、この里山での暮らしはより深い手ざわりを持って立ち上がってくるのです。

鳥の声に暮れる日々

かつて与謝蕪村は、次のような句を残しました。

「鶯の声遠き日も暮れにけり」 蕪村

鳥の声に耳を傾けているうちに、知らぬ間に1日が穏やかに過ぎ去っていく。その贅沢な充足感は、今も昔も変わりません。

今日も、わたしの住まう山里の眼下には甲府盆地の街並みが遠く霞んで見えます。あちら側の喧騒とは裏腹に、こちらは至って静かです。

夕暮れ時、最後の一羽がねぐらに帰るまで続くさえずりを聴きながら、わたしの一日もゆっくりと幕を下ろします。明日の朝は、どんな新しい声がわたしを呼び起こしてくれるのでしょうか。AIという現代の杖を携えて、わたしはまた、見えない隣人たちの歌声に耳を澄ませようと思います。

あ、ちなみに今朝、にぎやかに鳴いていたのは、「ヒバリ」だったようです。

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