小松菜の畑

春の雨と菜花のカラシ和え

春雨に誘われて

今朝、7時の外気温は11度を指していました。ここ数日の温かさに誘われるように、外の世界はにわかに賑やかさを増しています。耳を澄ませば、遠くでウグイスが喉を震わせ、ひばりの声が空高くへと吸い込まれていきます。そのさえずりにしばし聞き惚れていると、ぽつり、ぽつりと静かな雨が降り始めました。

午前中は、避けては通れない「下界」への用事がありました。奥歯の詰め物が一部取れてしまい、歯医者の予約を入れていたのです。

雨に濡れる桃の花のクローズアップ

里山に暮らす身にとって、通院であれ買い物であれ、山を下りるということは半日仕事になります。往復の道のりと、街の喧騒。それだけで午前中の時間は跡形もなく消えてしまいます。しかし、これもまた、この場所で生きていくために必要なものと割り切っています。

用事を済ませて山へ戻ると、雨はしっとりと地面を濡らし、風景の輪郭を優しくぼかしていました。ふと目をやれば、下の桃畑も、裏の桃畑でも、雨に濡れた桃の花びらが美しい光を湛えて輝いています。わが家の前庭では芝桜がじわじわと色彩を広げ始め、チューリップたちも「次は自分たちの番だ」といわんばかりに、続々とその蕾を開いているのです。

ここ数日は、桜の開花状況に一喜一憂したり、名所へのウォーキングに出かけたりと、どうしても意識が「外」の華やかさへと向いていました。けれど、今日のこの雨は、わたしの視線をふたたび足元の小さな世界――わが家の畑や花壇――へと引き戻してくれました。

「トウ立ち」という春の報せ

雨が上がったのを見計らって、「上の畑」に足を運んでみます。そこで目にしたのは、小松菜たちが一斉に茎を伸ばし、黄色い菜の花を咲かせ始めた姿でした。

この小松菜たちは、厳しい冬をじっと地面に張り付くようにして越してきた強者です。つい数日前まで「ようやく青い葉が持ち直してきたな」と目を細めていたのに、気づけばもう花芽を伸ばし始めていました。生命の時計の針が進む速さには、ただただ驚くばかりです。

白菜、キャベツ、小松菜、チンゲン菜……。いわゆるアブラナ科の冬野菜たちは、冬の寒さを経験することで、自らのなかに「春」を準備します。そして暖かな光が差すと同時に、次世代へ命を繋ぐべく、中心からすっと花芽を伸ばすのです。これがいわゆる「トウ立ち(薹立ち)」です。

野菜としての収穫を目的として家庭菜園をされている方の中には、トウ立ちは「終わりの合図」と見なされます。葉は硬くなり、栄養が花へと持っていかれてしまうため、多くの菜園家はここで栽培を切り上げ、株を抜き取ってしまいます。しかし、わたしにとっては、このトウ立ちした花芽こそが、春という季節がくれる最高のご馳走なのです。

旬を食す贅沢

トウ立ちしたばかりの若い花茎は、驚くほど柔らかく、そして甘いのです。冬の間の厳しい寒さを耐え抜いたからこそ蓄えられた滋味が、その一節一節に凝縮されています。小松菜のトウ立ちは、いわば「小松菜の菜花(なばな)」なのです。

蕾のうちに収穫すれば、アスパラガスを思わせるような濃厚な甘みと、春特有のほのかな苦みが同居する、ほかでは味わえない滋味があります。これをお浸しや天ぷらにすると、冬の野菜とはまた違った、軽やかでいて力強い生命力をいただくような心地がします。

わが家では今日、わたしが家内と二人で食べる分だけを少しずつ摘み取り、台所に届けます。家内が手際よくそれらを洗って湯がき、ツンと鼻に抜ける「カラシ和え」に仕立ててくれました。収穫から食卓にのぼるまで、わずか数十分です。

旬の食材は、他の季節のものと比べて栄養価が格段に高いといわれます。夏は体にこもった熱を逃がし、冬は芯から体を温める。自然界は、その時々にわたしたちが最も必要とする処方箋を、野菜というかたちで差し出してくれているのでしょう。

「鮮度」という何よりの贅沢こそが、土と共に暮らす者が享受できる最大の恩恵かもしれません。旨味も風味も濃厚ですから、調味料はほんの少しで事足ります。健やかな体を作るための知恵が、この一皿に詰まっているのです。今夜は、冷えた発泡酒を片手に、このカラシ和えをじっくりと味わうことにいたしましょう。

雨は午後には上がりましたが、雲はまだ低く垂れ込め、これからの数日は雨がちの予報が出ています。「晴耕雨読」。明日ももし雨が降るのなら、畑はお休み。積んであった本を開き、静かに文字を追う一日にしましょうか。

コメントを残す