山梨県立博物館

盆地に息づく「静寂」:「山梨の禅宗文化」展

甲州の里山に春の兆しが漂い始めた昨日(3月20日)、三連休の初日に、わたしは笛吹市にある山梨県立博物館へと車を走らせました。

令和7年度(2025年度)に開館20周年を迎えた同館では、その節目を飾る記念事業の掉尾として、特別展「山梨の禅宗文化――おのれと向きあう」を開催しています。初めて訪れたその建物は、周囲の景色に調和する堂々たる佇まいで、これから触れる歴史の重みを予感させるに十分な静謐さを湛えていました。

わたしがこの展示に足を運んだのには、個人的な背景があります。54歳の頃、体の不調を感じ始めていたときに道元禅師の『正法眼蔵』に出会い、少しずつ読み進めると同時に、朝の日課として坐禅に取り組んできたからです。一炷の線香が燃え尽きる間、ただひたすら呼吸を調え、己の内に沈潜していく。そんな日常を過ごす身にとって、「おのれと向きあう」という本展の副題は、単なる知識欲を超えた切実な響きをもって迫ってきたのです。

数値が示す「禅の国」の横顔

山梨に移り住んでからというもの、この地には妙に寺院が多いなという実感がありました。散歩の途中、不意に現れる古色蒼然とした山門や、手入れの行き届いた石庭。少し歩くだけで、一軒また一軒と仏教寺院に出会うのです。その直感は、インターネットで少し調べてみることで、統計データによっても裏付けられました。

人口10万人あたりの寺院数において、山梨県は全国第4位を誇るというのです。県の人口そのものは約80万人、全国42位と比較的少ない一方で、寺院の総数(1,502寺)は多く維持されているのです。

特に、わたしが暮らす甲州市周辺で車を少し走らせれば、向嶽寺恵林寺景徳院雲峰寺大善寺といった、歴史の荒波を乗り越えてきた名刹にすぐに出会うことができます。この圧倒的な「祈りの密度」は、一体どこから来るのでしょうか。その鍵は、やはり戦国大名・武田信玄という一人の武将の意志にあったといえるでしょう。

武田信玄と「甲府五山」 ―― 統治の礎としての禅

戦国時代、禅宗は単なる信仰を超えて、多くの武士や武将たちにとって「戦乱の世を生き抜くための実践的な知恵」として深く浸透していました。そうした時代に信玄公は禅法を深く尊び、京都や鎌倉の「五山制度」に倣って、府中(現在の甲府市)周辺に「甲府五山」を定めたのです。

「五山制度」とは、鎌倉・室町幕府が南宋の制度にならって禅宗(特に臨済宗)の寺院を保護・統制するために設けた格付け序列制度のこと。上位から「五山・十刹(じっせつ)・諸山」とランク付けし、幕府が任命した住職を順次昇任させることで寺院を管理・支配しました。信玄公はそれを甲斐の地に移植したのです。

「甲府五山」を構成する寺院は以下の通りです。

寺院名宗派歴史的役割
長禅寺臨済宗妙心寺派信玄の母・大井夫人の菩提寺。師・岐秀元伯が開山。
東光寺臨済宗妙心寺派諏訪頼重や武田義信の終焉地。大覚禅師作の庭園が著名。
能成寺臨済宗妙心寺派武田家代々の信仰を集めた名刹。
円光院臨済宗妙心寺派信玄の正室・三条夫人の菩提寺。
法泉寺臨済宗妙心寺派武田勝頼ゆかりの地。信玄の遺言により定められた。

これら「甲府五山」がすべて臨済宗であることは、信玄公の宗教政策が色濃く反映された結果といえます。

当時の禅寺は、単なる信仰の場ではありませんでした。信玄公は諸国から高僧を招き、その教えを民政や軍政、外交の智略へと転化させていったのです。特に長禅寺の住職・岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)は、信玄に「機山信玄」という法号を与え、その人間形成に多大な影響を及ぼしたとされます。禅寺は、この地における教育機関であり、行政の相談所であり、文化の最先端が集う拠点でもあったのです。なるほど、山梨に臨済宗のお寺が多い理由が、腑に落ちました。

夢窓疎石との再会 ―― 石に刻まれた京都からの風

今回の展示でわたしを最も驚かせ、かつ深い親近感を抱かせたのは、恵林寺の庭園に関する逸話です。

その美しい庭園が、稀代の作庭家で禅僧の夢窓疎石(むそうそせき)の手によるものだと改めて知り、わたしは思わず唸らずにはいられませんでした。夢窓疎石といえば、京都の天龍寺や西芳寺(苔寺)の作庭で知られ、その庭園は世界遺産・特別名勝、国宝にも指定されるほど評価の高い、いわば「京都のひと」という印象が強かったからです。

実は、わたしたち夫婦は10年ほど前、京都の天龍寺を訪れたことがあります。あの瑞龍山を借景とした庭園の、吸い込まれるような調和に深い感銘を受けた記憶が今も鮮明に残っています。その疎石の庭が、いまわたしたちが暮らしている場所からほど近い恵林寺に息づいている。この発見が、知的な興奮を伴ってわたしを揺さぶったのです。

1330年に創建された「乾徳山 恵林寺」は、夢窓疎石の没後約200年を経て、信玄公が自らの菩提寺に定めた場所です。1582年、織田信長の軍勢による焼き討ちという悲劇を経てなお、疎石が配した石組や池の骨格は当時の姿を今に伝えているといわれます。

疎石は「山水(自然)を愛でることは、単なる遊びではなく、悟りに至るための修行(山水並得)である」と考えました。この思想が、彼の庭園造りの根底に流れています。建物は灰になっても、配した石に込められた夢窓疎石の思想は消えない。そのことに思いを馳せるとき、改めてこの地を終の棲家とした縁の深さを感じずにはいられません。

「おのれと向きあう」旅は続く

展示会場を埋め尽くす国宝や重要文化財の数々は、どれも一瞥して通り過ぎるには惜しいほどの重厚な気配を放っています。高僧の肖像画や彫刻である「頂相(ちんそう)」の眼差しは、時代を超えて今のわたしたちに「お前は何者か」「いかに生きるか」という鋭い問いを突きつけてくるようです。

一日ではとても味わいきれないほど、密度の濃い展示内容です。会期が終わるまでにもう一度、今度は妻と二人で再訪することを心に決めたのでした。

博物館を後にし、帰路につく。車窓に広がる甲府盆地の街や畑が、来る前よりも少しだけ違って見えました。足元の土の下には、信玄公が求めた心の秩序があり、夢窓疎石が想い描いた静寂が、今なお伏流水のように流れている。この盆地には、そんな歴史の息吹が静かに脈打っている気がしたのです。

わが家に戻れば、いつものように座布を敷き、壁に向かって座る時間が待っています。しかし、明日からはその静寂の背後に、豊かな歴史の物語を感じることができるでしょう。

皆さまも、もしこの春、甲州の地を訪れることがあれば、ぜひこの博物館へ足を運んでみてください。慌ただしい現代を生きるわたしたちが忘れかけていた「おのれ」と、静かに向きあうきっかけとなる特別展です。


展示会データ:

山梨県立博物館 開館20周年記念特別展 「山梨の禅宗文化 おのれと向きあう

  • 会場:山梨県立博物館アクセス
  • 会期:2026年3月14日(土)~5月6日(水)
  • 休館日:毎週火曜日(5月5日は開館)
  • 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 観覧料:一般1,000円、大学生500円(常設展+企画展共通券:一般1,200円、大学生590円)

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