2011年3月11日14時46分。
東日本大震災の発生から、今日で15年という歳月が流れました。三陸沖を震源とするマグニチュード9の巨大地震は、日本国内の観測史上最大規模。最大震度7の激しい揺れが、東北の広い範囲を容赦なく襲いました。
東京でも震度5強が観測され、都内の交通網はほぼ麻痺しました。「帰宅困難者」という言葉が広く知られるようになったのも、このときのことです。被災地の方々の苦難はいうまでもありませんが、東京にいたわたしたちにとっても、あの日の記憶は今なお生々しく残っています。
わたしは当時、カメラ映像機器工業会(CIPA)の職員として、築40年以上のビル6階にある会議室で会議に出席していました。突然、建物全体がきしむように揺れ、天井の蛍光灯カバーが外れて落下。幸い大きな被害はありませんでしたが、会議はそのまま中止となりました。
揺れが収まった後、会議出席者を見送り退社。折しも家内も都心に出ており、つながりにくい携帯電話で奇跡的に連絡を取り合うことができ、渋谷で落ち合うことになりました。しかし地下鉄は止まり、バスも動かない。やむなく半蔵門から国道246号に出て、延々と歩き続けました。夜9時過ぎ、渋谷のバス停で家内と再会し、そこから世田谷の自宅まで二人でまた歩く。帰宅したのは未明の四時過ぎ。深い疲労の中に、二人で無事に帰宅できた安堵だけが静かに残っていました。
この震災の被害が甚大になったのは、「揺れ」だけが原因ではありません。三つの災禍が連鎖的に発生したことが、未曾有の惨事を生んだのです。
第一は、地震動そのもの。東北から関東にかけて数分間続いた激しい揺れが、多くの建物を倒壊させ、各地で土砂災害を引き起こしました。
第二は、津波。巨大な海嘯(かいしょう)が川を遡り、太平洋沿岸の街をのみ込み、場所によっては高さ40メートルを超えました。
そして第三が、原子力発電所の事故です。東京電力福島第一原子力発電所が津波により全電源を喪失し、メルトダウンという深刻な事態を招きました。放射性物質の放出は最悪レベルに分類され、被害は長期にわたり、今もなお完全な復旧には至っていません。
震災直後の5月、わたしと家内は岩手県や石巻市などの被災地を視察しました。そこに広がっていたのは、これまでの人生で一度も見たことのない光景でした。街は瓦礫に覆われ、生活の痕跡が無残に引き裂かれている。言葉を失うとは、まさにあのことです。
その後、わたしが所属していたCIPAでは、日本財団と協力し、被災写真の洗浄・修復活動を支援する助成基金プロジェクトを立ち上げました。自らが現場で作業を担うのではなく、各地の市民団体やNPOに資金や機材を提供し、活動を後方から支える役割です。
当時、これらの取り組みは「写真救済」や「思い出サルベージ」などと呼ばれました。津波をかぶった写真は、海水や泥に含まれる細菌の影響で急速に劣化します。時間との闘いの中、全国のボランティアや企業が力を合わせ、写真を一枚ずつ洗浄し、乾燥させ、持ち主のもとへ返す——そんな地道な営みが各地で静かに続けられました。
家や財産のすべてを失った方々にとって、写真は単なる紙ではありません。それは家族の歩みであり、故郷の記憶そのもの。「家は建て直せても、思い出は買い直せない」——洗浄された写真を手にした被災者が、涙とともに感謝を語る場面が数多く報告されました。写真には、失われかけた時間を再び手元に呼び戻す力があったのです。
CIPAの助成は、写真洗浄にとどまりません。被災した子どもたちが復興の姿を自ら記録する活動、津波で存続が危ぶまれた伝統芸能の映像記録、震災の記憶を風化させないための写真展など、多面的な支援が続きました。その根底には、「写真は人と人の心をつなぐ文化である」というCIPA加盟各社共通の信念がありました。この助成金活動は、業界全体で被災地に寄り添う姿勢を示したひとつの好事例といえるでしょう。
これまでに被災地の道路や防潮堤などのインフラ整備は着実に進みました。しかし、福島県の一部には帰還困難区域が今も残り、避難生活を続けている方々もいます。心のケアや地域コミュニティの再建といった課題は、今もなお途上にあります。改めて、亡くなられた方々に深い哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
現在、日本近海の地震活動は一見静穏に見えます。しかし将来を見渡せば、南海トラフ巨大地震、千島海溝地震、首都直下地震など、高い確率で発生が予測される災害が続いています。備えを怠れない状況は、変わっていません。
写真を救う活動も、未来の災害への備えも、根底にある願いは同じです。それは「大切なものを守りたい」という、人として自然な心のはたらきにほかなりません。
禅に「前後際断(ぜんごさいだん)」という言葉があります。過ぎ去った「過去(前際)」と、まだ来ていない「未来(後際)」を断ち切りなさい——という教えです。忘れてしまえということではありません。あの日への後悔や、未来への不安に心を引きずられるのではなく、今ここ、この瞬間に全力を注ぐ。無常の荒波の中で溺れないためには、今という「点」を懸命に生きるしかない。そんな禅の鋭い実践哲学です。
何も起きていない平時こそ、備えを整えることができます。住まいの安全確認、非常用品の点検、家族との連絡方法の共有、そして思い出の記録の保全。どれも特別なことではありませんが、いざというときに、かけがえのない力となります。
あの日を忘れないこと。
そして、今日をおろそかにしないこと。
静かな日常の中でこそ、備えの芽は育ちます。