焼きうどん

焼きうどんと腹八分

3月だというのに、宇都宮では10センチもの積雪があったそうです。21年ぶりのことだといいます。春へ向かうはずの季節が、ふいに冬へ引き戻されたような寒波でした。

私たちの住む甲州市塩山の里山でも、午前中に粉雪が静かに舞いました。積もりはしなかったものの、気温は上がらず、底冷えのする一日です。

こういう日は、身体が素直に温もりを求めます。そこでお昼は焼きうどんにしました。

わたしは昼食をほぼ毎日、自分で作ります。いわゆる男の料理ですから、見た目は整っていません。それでも、その時々に食べたいものを、身体が求める味を、自分の感覚で決められる心地よさがあります。

東京で働いていた頃、昼食は手軽さが優先でした。コンビニ弁当やファストフードで空腹を満たし、午後の仕事へ急ぐ。炭水化物と肉中心の食事は、満腹感こそあっても、身体の奥が満たされる感覚に乏しかったように思います。

今は、自分の畑の野菜をできるだけ食卓に載せたいと考えています。土に触れ、季節とともに育った野菜には、栄養素の量では測れない力が宿っているように感じるからです。

「身土不二」(しんどふじ/しんどふに)という言葉があります。「身体と土地(環境)は一体であり、切り離せない」という仏教由来の言葉。転じて、その土地で季節に採れた旬の食材を食べるのが健康に良いという食の考え方です。

今日の焼きうどんにも、畑の恵みを使いました。豚肉の小間切れとウインナーも味付け程度に少しは入れましたが、主役は野菜です。キャベツは店のものですが、人参は自家栽培の「黒田五寸」。昔ながらの品種で、香りも味も濃い。形は不揃いでも、その香りが畑の風景をそのまま台所へ運んできます。

味付けは化学調味料は使わず、料理酒と醤油だけ。素朴な風味が湯気とともに立ちのぼります。熱々を頬張ると、冷えた身体が内側からほぐれ、思わず息が深くなります。ああ、満ち足りていると感じる瞬間です。

ところが、そこで箸が止まりません。

健康長寿を考えれば、腹八分がよいと頭では分かっているのです。古くからの養生訓も、現代の医学研究も、過食を慎むことの大切さを説いています。カロリー制限が長寿に寄与するという研究は、人間においても支持されつつあります。しかし実際には、あと一口が止まらない。満足と節制のあいだで、心はいつも揺れ動きます。

禅は「足るを知ること」の難しさを繰り返し説きます。足りないから求めるのではなく、すでに満ちていると気づくこと。それが欲を手放す入口なのだ、と。けれども、頭で理解することと、身体の欲求を鎮めることは、別の問題です。

もう少し控えたほうがよいと分かっていながら箸が進んでしまうのは、意志の弱さでしょうか。それとも、生きようとする身体の自然な働きなのでしょうか。

満腹になる手前で箸を置くことは、我慢なのか、それとも自分の身体をいたわる静かな知恵なのか。食とどのように向き合うかという問題は、笑い事ではなく、そのまま自分自身の身体とどう折り合いをつけるかという問いであり、修行なのかもしれません。

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