5月も半ばを過ぎ、初夏の風が心地よい季節になりました。ここ数日、毎朝午前4時半頃、明るくなり始めると同時に鳥たちの声で目が覚めてしまいます。ウグイス、ヒバリ、カッコウ……。
なかでもホトトギスの鳴き声は別格です。「キョッキョ、キョキョキョキョ」と、独特のリズムの鳴き声は、山間の木々にこだまして耳に飛び込んでくるのです。ホトトギスは、カッコウ目カッコウ科の渡り鳥で、5月頃に南方からやって来る「夏鳥」に分類されます。古今和歌集にも「時鳥 鳴くや五月の 菖蒲草 あやめも知らぬ 恋もするかな」と詠まれたように、古来、日本人の詩心を刺激し続けてきた初夏の鳥です。
そのホトトギスの鳴き声に起こされて、早起きしたわたしと家内は、早朝の花壇を見て回るのが、今頃の日課です。そしてちょうどいま、わが家の道路際の花壇には、淡いピンクの花が溢れかえっているのです。
「いいなぁ、かわいいなぁ。うちにも咲いてくれたら」
数年来、散歩のたびによそのお宅の庭先でこの花を見かけては、家内はそうつぶやいていました。淡いピンクの花びらが椀のように開く、風情のある姿がすっかり気に入ったようです。ヒルザキツキミソウです。
今年、ようやくタネを手に入れました。「あちこちで咲いたら楽しいかな」と、特に深い考えもなく、3月の初めごろに花壇のあちこちにパラパラと撒いておいたのです。
それから数ヶ月。花壇の一角が文字通り、ヒルザキツキミソウの花で埋まりました。毎朝庭に出ては家内が満足そうにしているのを見て、わたしもなんだかほっとしています。
見た目は繊細で、風に吹かれればいまにも折れそうなのですが、実際に育ててみると「おや、意外に強いぞ」と驚かされます。
この花、通称「月見草」とも呼ばれますが、正式にはヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)といいます。本来の「ツキミソウ」は名前のとおり夜に開いて朝にはしぼんでしまう花。太宰治が「富嶽百景」に書いた「富士には月見草がよく似合う」の月見草も、夜にひっそりと咲く白や黄色の花を指しています。しかしこのヒルザキツキミソウは、昼間に堂々と咲き、夕方になっても元気です。大正時代に北米から観賞用として持ち込まれた際、「月見草の仲間なのに昼間に咲く」ということで、この少し矛盾した名が定着したようです。
かつては洋風庭園を彩る園芸植物として珍重されたこの花も、時代とともに野に広がり、いまでは線路脇や荒れ地にも群落を作っています。柔らかそうな花弁の奥に、そういう逞しさが宿っているわけです。わが家の花壇で縁石を乗り越えようとしているパワーにも、なるほどと思います。
ヒルザキツキミソウの他にも、同じような淡いピンクの花が、いまわが家の敷地に顔を出しています。ユウゲショウとヒルガオです。種を蒔いたのではなく、野生化したものが自然と生えてきたのです。



ユウゲショウ(夕化粧)は、裏のログハウス周りのシロツメクサの中にところどころ揺れています。明治時代に観賞用として移入されたアメリカ大陸原産の多年草ですが、今では道端や空き地でもよく見かけます。「夕化粧」という名は午後遅くに開花することに由来するとされますが、実際には午前中でも咲いています。やや詐称気味の名前ですね。
上の畑の石垣にはヒルガオが花をつけています。アサガオに似た桃色の花で朝から夕まで咲き続けるため「昼顔」の名がつきました。日本に古くから自生し、『万葉集』では美しいという意味を込めて「容花(かおばな)」と呼ばれ、4首ほど詠まれているそうです。
思えば、淡いピンク色の花がわが家の敷地でこれほど揃うとは思っていませんでした。昔の人は風情のある名前をつけたものだと感心します。「昼顔」、「夕化粧」、「昼咲月見草」。どれも花の姿だけでなく、咲く時間や光の気配まで映し込んでいます。どこか世間の目をやわらかくかわしながら、したたかに生きる女性たちをイメージさせる名前です。
ヒルガオ以外はいずれも外来種ですが、野生化することも多く、日当たりのよい野原や道端、荒れ地、線路際などで普通に見られるといいます。儚く見える薄い花びらを揺らしながら、彼女たちは意外にしたたかに生きているのです。家内が長年欲しがっていたヒルザキツキミソウも、種をパラパラと撒いただけで花壇を制圧しました。気がつけば縁石も越えようとしています。
女性たち、いつの時代も強かに生きてきたのです。