五月に入り、わたしたちの里山もいよいよ初夏の気配が濃くなってきました。日中の最高気温が25℃を超える日も出てきて、畑仕事をしていると額に汗が滲みます。それでも、通り抜ける風はまだ湿気を帯びておらず、まさしく「薫風」と呼ぶにふさわしい、爽やかな季節です。
わが家の庭先では、いま、静かながらも華やかな競演が繰り広げられています。一週間ほど前から咲き誇っているジャーマンアイリスに寄り添うように、つい昨日、日本のあやめがその端正な顔を覗かせました。

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実はこの花たち、わが家にとっては格別の思い入れのある「贈り物」なのです。
「持ってけ」という突然の「施し」
時計の針は二年前、2024年の早春に戻ります。東京での42年間の暮らしに区切りをつけ、ここ甲州市の山間の地に移り住んで間もない頃のことでした。
日課のウォーキングで国道沿いを歩いていると、古びた食料品店の前に広がる畑で、華麗なアイリスやあやめが風に揺れているのが目に入りました。
「見事だね」
家内と二人、足を止めて見惚れていた、その時です。不意に現れたお店のおばあちゃんが、こちらの返事も待たず、ぶっきらぼうに、けれど温かい声で言ったのです。
「持ってけ」
驚く間もなく、おばあちゃんは使い古されたスコップを手に取り、ザクッ、ザクッと株を掘り起こし始めました。「あっちに黒い花のアイリスもあるよ」と少し場所を変えては、また一株。気がつけば、ビニール袋四つ分もの、瑞々しい花芽のついた根茎を手渡されていました。
「すぐに増えるから、大丈夫なんだよ」
当時のわが家の庭先は、引っ越してきたばかりで、手入れも行き届かず、どこか寂しい景色でした。それだけに、この突然の「贈与」「施し」がどれほど嬉しかったことか。ウォーキングから戻るなり、わたしたちは夢中で石垣のそばにそれらを移植したのです。
しかし、植物との対話には時間がかかります。
翌2025年の春。あやめはなんとか一輪二輪と顔を見せてくれましたが、ジャーマンアイリスは沈黙を守ったまま。青々とした葉を茂らせるばかりで、ついに花を咲かせることはありませんでした。
「ここの土地に馴染むのに、時間が必要なんだね」
そう家内と話しながらも、どこに植えたのかさえ忘れかけていた今春。彼らは最高の報せを持って、二年の沈黙を破ってくれたのです。
「ひげ」と「網目」の物語
ジャーマンアイリスも日本のあやめも、植物学上は同じアヤメ属に分類されますが、その素顔は驚くほど対照的です。
最も顕著な違いは、花びらの付け根にあります。ジャーマンアイリスは、英語で「Bearded Iris(ひげアヤメ)」と呼ばれる通り、花弁の基部にブラシのようなモコモコとした「ひげ」が生えています。これは単なる飾りではなく、マルハナバチなどの昆虫に「ここに蜜がありますよ」と教え、背中に花粉を付着させるための巧妙な誘導装置です。
対して、日本のあやめにはその「ひげ」がありません。代わりに、黄色と白の繊細な「網目模様」が描かれています。この模様が、漢字の「文目(あやめ)」――綾目、つまり綾織りの模様――の語源になったとも言われています。
また、彼らの好む居場所も違います。カキツバタが水辺に浸かって咲き、ハナショウブがしっとりとした湿地を好むのに対し、あやめとジャーマンアイリスは乾燥した土地を好みます。特にジャーマンアイリスは、地中海沿岸の乾いた岩場が故郷。肉厚な根茎(リゾーム)に水分と養分を蓄え、サボテンにも劣らない乾燥耐性を備えています。
湿気を嫌い、太陽を愛する。その性質は、水はけのよい石垣や斜面の多いわが家の庭に、驚くほど合致していたのでしょう。
歴史と芸術のアイリス
西洋において、アイリスは単なる花以上の象徴的存在でした。「アイリス」という名は、ギリシャ神話の虹の女神「イリス」に由来するとされます。天と地を結ぶ使者として神々の言葉を運ぶイリスは、その七色の翼で大空を渡りました。
フランス王室の紋章「フルール・ド・リス(百合の花)」をご存じでしょうか。名前に「百合」とついていながら、そのモデルはアイリスだとする説が広く知られています。伝説によれば、フランク王国のクローヴィス1世が敵に追われて湿地帯に追い詰められたとき、川辺に咲くキショウブを見つけたといいます。アイリスが咲いているということは、そこが渡れるほどの浅瀬である証。彼はその場所を渡って窮地を脱し、アイリスを「救済の象徴」として紋章に刻んだのだそうです。

その後、フルール・ド・リスの意匠はフランス国内にとどまらず、世界中で「誠実」「潔白」「騎士道精神」を象徴するデザインとして受け継がれていきます。そのひとつが、ボーイスカウト運動のシンボルです。
じつはわたし自身、小学生の頃の一時期、ボーイスカウトに参加していたことがあり、あのバッジに刻まれた三叉の紋章を、当時はただ「かっこいい印」として胸に付けていたのです。それが、ギリシャ神話の虹の女神にまでつながる意匠だったとは――半世紀以上の時を経て、わが家の石垣の花が教えてくれました。
さて、こうした歴史を背負うアイリスを、東西の芸術家たちはどう捉えたのでしょうか。
フィンセント・ファン・ゴッホが晩年に描いた『アイリス』には、渦を巻くような筆致と重厚な色彩があります。大地にしっかりと根を張ろうとするかのような、あるいは大地からゆらゆらと立ち上るかのような画面の密度。精神の嵐の中にあってなお、生命への強烈な執着を感じさせます。



一方、日本の浮世絵師たちはまったく異なる眼差しを向けています。葛飾北斎や歌川広重が描いたあやめは、花そのものの「存在感」よりも、花を取り巻く空気や季節の気配を写し取ろうとするかのようです。ゴッホの描くアイリスが内側から燃える「情念」の美だとすれば、北斎や広重のあやめは、自然の摂理をそっと掬い取る「観察」の美と言えるかもしれません。
おもしろいことに、ゴッホ自身が日本の浮世絵に深く傾倒していたことはよく知られています。激情と静観、フランスと日本、二つの美の系譜はじつは根茎(リゾーム)を通じて地下水脈のようにつながっていたのかもしれません。
虹の橋を静かに渡って
わが家の石垣の上で、誇らしげに花を咲かせている二種類のジャーマンアイリス。
一つは白と紫の爽やかなコントラストのバイカラー。もう一つは、あのおばあちゃんが言っていた「黒い花」。実際には深みのある高貴な紫ですが、夕闇に溶け込むその姿は、確かに漆黒の静寂を纏っています。
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自然栽培の庭において、わたしが彼らにしたことといえば、冬の間に枯れ葉を整理し、雑草を少し抑えた程度です。過剰な肥料も、化学的な薬剤も必要ありませんでした。厳しい冬を越え、乾燥した山梨の風に吹かれることが、かえって彼らの野生の力を引き出したようです。
わたしと家内は毎朝、ウッドデッキの向こうに庭を眺めます。
地中海の岩場からヨーロッパの王宮へ、明治期の日本へ、そしていまわが家の石垣に根を下ろしたジャーマンアイリス。かつて、食料品店のおばあちゃんから無造作に「持ってけ」と手渡されたあの根茎は、二年の時を経て、ひっそりと花を開きました。
かつて曹洞禅の澤木興道老師は、こう語っています。
「天地も施し、空気も施し、水も施し、植物も施し、動物も施し、人も施す。——施し合い。われわれはこの布施し合う中にのみ、生きておる。ありがたいと思うても思わいでも、そうなのである。1」
「持ってけ」の一言で手渡されたあの根茎たちは、土地の記憶と見知らぬ者どうしの縁とを、静かに結んでいたのかもしれません。天地も、水も、人も、みな知らず知らずのうちにその恵みを施し合っている。
虹の女神イリスは、天と地の間に橋を架ける使者でした。彼女は、時空を超えて北斎や広重の「あやめ」とゴッホの「アイリス」にも橋をかけたのでしょうか? だとすれば、わが家の石垣に咲くジャーマンアイリスとあやめもまた、虹の女神イリスのささやかな橋のほんの一部を担っているのかもしれません。
【脚注】
- 『禅に聞け 澤木興道老師の言葉』櫛谷宗則編、大法輪閣、昭和62年第6刷発行、P.136 ↩︎