世間はゴールデンウイークの連休中。朝のテレビニュースを見れば、どこもかしこも浮き足立った空気に包まれています。有給休暇をうまく組み合わせれば12連休という方もいらっしゃるとか。かつてのサラリーマン時代、わたしもカレンダーの赤い数字を指折り数えては、仕事から解放される日を心待ちにしていたものです。
しかし、この里山に移り住み、リタイアした今のわたしにとって、カレンダーの曜日や祝日は、もはや実質的な意味を成しません。 毎日が連休ともいえるのですから。それよりも、庭の草花が芽吹くタイミングや、畑の作物たちが無言で告げる季節の移ろいのほうが、ずっと切実で、有用な指標になっています。
ギリシア哲学では、時間を二つに分けて考えました。「クロノス」――人間が決めた一様な時間や「日付」という枠組み――に対して、「カイロス」とは、自然が自ら「今だ」と告げる決定的な瞬間のこと。その瞬間に身を委ねることのほうが、今はよほど贅沢な時間の使い方に思えるのです。
今朝はどんよりとした曇り空。 先週は家内の個展の手伝いで忙しく、畑を少し留守にしていました。気になって上の畑を覗いてみると、案の定、収穫が遅れた葉ねぎたちが一斉に「トウ立ち」し、その先端にふっくらとした「ネギ坊主」を戴いているのを見つけました。
「笑顔」という名のつぼみ
ネギ坊主とは、ネギが花を咲かせるために伸ばす花茎のこと。 まだ薄い皮に包まれたその中には、数百もの小さな白い花が、ぎゅっと身を寄せ合うようにして詰まっています。やがてこの皮が破れ、あの球状の花が開き始める……。
ピンと伸びたネギの先に、ぽっかりと浮かぶ白い玉。そのどこかユーモラスで愛らしい姿から、花言葉は「笑顔」や「ほほえみ」とも言われているようです。確かに、畑の中に小さな微笑みが点在しているようで、見ているこちらまで少し頬が緩みますね。


もっとも、農家の方や家庭菜園を楽しむ者にとって、この「笑顔」は少し複雑なサインでもあります。 どんな植物でもそうですが、一度花を咲かせれば、生命の全エネルギーは次世代の種を作るために注がれます。そうなると、肝心のネギの身の部分は固く筋張ってしまい、食用には向かなくなってしまう。ですから「ネギ坊主」を見つけたら、早めに摘み取らなければならないのです。
わが家で栽培している「分けつネギ」は、ネギ坊主を摘み取った後、そのままにしても枯れませんが、株元を分けて植え直してやれば、また勢いよく再生してくれます。わたしは空いている畝があれば、せっせとこのネギを株分けして植え直しています。ネギは、土中の窒素分を効率よく吸い上げてくれる、頼もしい「畑の掃除屋」でもあるからです。
畑を耕す者だけの特権
さて、摘み取ったネギ坊主をどうするか。 軽く湯掻いて酢味噌和えにするのもありですが、答えはひとつ。天ぷらに限ります。
ネギ坊主の天ぷらは、薄皮が破れる前の、まだ硬い蕾の状態のものをサッと揚げるのが鉄則。170~175℃の熱い油の中で、衣がカラリと踊る瞬間。薄皮のまま揚げて、パラリと塩を振って口に運べば、ほのかな苦みとホクホクとした食感が広がります。


ここで、わが家流というか家内流の作り方を少し。
【ねぎ坊主の天ぷら】
- 下準備: ネギ坊主を軽く洗い、水気を丁寧に拭き取ります。
- 選別: 薄皮が破れていない、小ぶりで硬いものが最高です。
- 衣づけ: ポリ袋に天ぷら粉(薄力粉)とネギ坊主を入れ、風船のように膨らませてシャカシャカと振ります。全体に薄く粉をまとわせるのがコツ。その後、冷水でさっくり溶いた衣にくぐらせます。
- 揚げる: 高めの温度(170~175℃)で短時間。茎の部分も一緒に揚げると、甘みが際立って美味です。
- 仕上げ: 熱いうちに、シンプルに「塩」で。少し冷めたら麺つゆでも美味しいです。
春の山菜や野菜には、なぜこれほどまでに「苦み」が含まれているのでしょうか。 冬の間、じっと土の中で眠っていた体を呼び覚ますための、刺激としての苦み。天ぷらという調理法は、その苦みをトゲではなく「味のアクセント」へと昇華させてくれます。
揚げたてのほくっとした口当たりと、油に溶け込んだ独特の香り。言葉より先に、箸が動きます。
八百屋やスーパーの店先で見かけることのない「ネギ坊主」。 それは、収穫の適期を逃したという、一見すると小さな「失敗」から生まれるもの。けれど、それこそが、畑を耕し、植物の呼吸に合わせて生きる者だけが味わえる、最高の特権なのかもしれません。
カレンダーの連休に身を任せるのも悪くはありませんが、こうした「畑の都合」に振り回される休日も、これはこれで、なかなかに豊かなものです。
もし家庭菜園でネギを育てているのなら、この時期だけの「旬の味」を、ぜひ慈しんでみてください。