松宮直子個展(2026年、ギャラリー日向)

個展会期中はてんてこまい

甲府盆地を囲む山々が、萌黄色から深い緑へとその装いを変えようとしています。

わが家の畑では、不耕起の土からひょっこりと顔を出したアスパラガスが、朝露を浴びて光っています。本来ならそれを見守りつつ、のんびり草刈りでもしながら、心静かに春を味わいたいところなのですが……。

今週ばかりは、そうもいきません。

4月23日から26日まで、甲州市内の「ギャラリー日向」にて、家内の個展『松宮直子展— 生の形象(せいのかたち)』が開催されているからです。

正直に申し上げましょう。家族に画家がひとりいるというのは、なかなかに難儀なことなのです。

「隠者」返上の数日間

制作期に入ると、家内の権勢は揺るぎないものになります。

生活のあらゆる場面が「作品制作」に侵食され、春の公募展の季節ともなれば、もう大変。画家というのは、多かれ少なかれわがままな生き物です。制作時間を確保するためなら、庭の草刈りも、畑の手伝いも、食事の準備も掃除も洗濯も、すべてが「保留」という名の霧の中へ消えてゆきます。わたしが消えてしまわなければいいのですが……。

そして個展ともなれば話は別次元。気づけば「裏方の下働き人夫」として徴用されてしまうのです。

案内状のデザインと印刷手配を仰せつかるのは当然として、前日は突如「運送業者」へと変身。畳2枚分ほどもある大作をトラックに積み込みます。家内の作品は、精神的な重みもさることながら、額縁が重いために物理的にもかなりの重量です。「魂のこもった作品」を文字通り体で受け止める羽目になる、というわけです。

設営の日には「内装業者」への変身も求められます。作品の並び順を提案し、壁に釘を打ち、水平を確認し、照明を調整する。へとへとになって帰宅し、大好きな晩酌もそこそこに、夜9時には泥のように眠る日々。定年後の「悠々自適」とは、一体どこの国の話だったでしょうか。

受付という名の「苦行」

いざ個展が始まれば、今度は受付係の任務が待っています。来場者に丁重にご挨拶し、芳名帳への記帳をお願いし、長居をされるお客様にはお茶をお出しし、ときには話し相手にもなる。

わたしはもともと、人付き合いが苦手で山梨のこの地に逃げ込んできた人間です。それが、どういう因果か、これほどまでに社交を強いられている。「自分は一体、何のために都会の喧騒を離れてきたのだろうか」と、ふと哲学的な問いが頭をよぎります。

「これはいったい何の罰ゲームなのか?」

そう口をつきそうになりますが、家内の顔を見ると、なぜかそうも言えなくなるのです。長年連れ添うとは、かくも恐ろしいことです。

夢の続きを支えるということ

今回の個展は、移住の際にお世話になった方がギャラリーを開設され、「地域の方々に絵を教える場を作ってみては」とお誘いを受けたことがきっかけでした。

絵画教室を開くことは、家内が画学生の頃から考えていたこと。お話をいただいた1月後半からというもの、「疲れた疲れた」と言いながらも、家内はどこか楽しそうにチラシを作り、宣伝文句を考えていました。

東京での個展は、同業の画家同士が品定めをするような張り詰めた空気があるらしい。しかしここ甲州では、少し違います。展示の内容も今回は、東京での開催のような新作発表中心の展示ではなく、初期の油彩作品や鉛筆作品、デッサンや雑誌掲載のイラストなど、過去作品中心の展示です。

地元の美術愛好家の方々が訪れ、「この色はいいわね」「どこか懐かしい」などと、思い思いの言葉を置いていかれる。地域のご婦人方にとっても、絵を眺めながらお喋りを楽しむひとときは、日常の中の小さな救い、ストレス発散になっているのかもしれません。家内はその一人ひとりと一所懸命に言葉を交わしています。

スピノザは、あらゆる存在がもつ「自己を保ち、生き続けようとする力」を「コナトゥス(conatus)」と呼びました。作品を介して他者と繋がる家内の姿を見ていると、制作することそのものが彼女の「生」の輪郭を形作っているのだと、しみじみ感じます。

そう考えると、運送屋や内装業者の真似事も、まあ悪くはない気がしてくるのですから、現金なものです。

あと二日の余韻

会期が終われば、またにわか運送屋に戻り、作品をアトリエの所定の位置へ保管し直す力仕事が待っています。

繰り返します。家族に画家がいるのは、確かに難儀なことなのです。

けれど、何もない静寂だけが隠居生活の正解ではない。誰かの情熱に巻き込まれ、心地よい疲労感に包まれることも、ひとつの「生きている証」なのかもしれません。「任運自在」――無理に状況を変えようとせず、今この瞬間の現実を受け入れて、淡々と自分らしく在ることを表わす禅のことば。これも修行のひとつなのかもしれませんね。

さて、会期はあと2日。腰の痛みを少しだけ無視して、明日も受付の椅子に座ることにいたしましょう。

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