わが家のヤグルマギク

ヤグルマギクが咲きました

わが家の庭で、数日前からヤグルマギクが咲き始めました。 一点の曇りもない、吸い込まれるような青。それがひとかたまりになって、甲府盆地から吹き上げてくる春風に揺られています。

実はこの花、もともとはわが家の住人ではありませんでした。 一年前、下の大通りを車で通りかかった折、アスファルトの隅で強風に煽られ、今にも倒れ伏しそうになっていた青と紫、淡いピンクや白い花の株を見つけたのです。誰も手入れをしない放置された土地に置き去りにされた草花。そう思うと放っておけず、根っこからそっと引き抜いて連れ帰り、わが家の敷地に移植しました。

昨年はなんとか弱々しくも花を咲かせてくれた、という程度でしたが、今年は違います。こぼれた種が土に馴染んだのでしょう、驚くほど広い範囲に勢力を広げ、見事な群生を見せてくれました。しかも、その色は濃い青から紫まで、さまざまなグラデーションを見せてくれています。

ヤグルマギク――学名を Centaurea cyanus。 道路脇のコンクリートの隙間からでも顔を出すその姿は、いかにも「ど根性」な雑草の風情ですが、少し調べてみると、この花が背負ってきた歴史の重みに、わたしは言葉を失いました。

ルネサンスの春と、神話の癒やし

かつて、イタリア・ルネサンスの巨匠ボッティチェリは、名作『ヴィーナスの誕生』の中で、海から生まれた中央のヴィーナスを迎え入れる春を告げる時の女神ホーラ(右側)のドレスに、このヤグルマギクを描き込みました。当時のイタリアにおいて、この青い花は「愛」と「結婚」、そして瑞々しい「春」という季節そのものの象徴だったのです。

ビーナスが貝殻の上に立っている美しい風景画。左側には風の神ゼフィルスが描かれ、右側には女神の擁護者であるヘーラーが現れています。

その名の由来を紐解けば、さらに遠く、ギリシャ神話の森へと辿り着きます。 属名の「ケンタウレア」は、半人半馬の賢者ケイロンに由来するといいます。毒矢に射られた彼が、自らの傷を癒やすために用いたのが、このヤグルマギクであったという伝説。それゆえに、この花は「健康」や「悪魔(毒)への勝利」という、どこか聖なる響きを帯びるようになりました。

麦畑の青、亡国の祈り

しかし、この花が真に人々の魂に深く刻まれたのは、ヨーロッパの近代史においてであったようです。

1806年、ナポレオン軍の侵攻に追われたプロイセン軍はイェーナ・アウエルシュタットの戦いでナポレオン率いるフランス軍に壊滅的な敗北を喫しました。ルイーゼ王妃(1776–1810)と国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、そしてその子供たちは、プロイセン東端のメーメル(現在のリトアニア・クライペダ)への逃避を余儀なくされたのです。 彼女は逃避行の途上、麦畑に身を隠しながら、怯える子供たちのために道端のヤグルマギクを摘み、花冠を編んでやったといいます。その子の一人が、のちの初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世です。彼は生涯、この花を「母の思い出」として慈しみ、やがてヤグルマギクはドイツの国花、「皇帝の花(カイザー・ブルーメ)」となりました。

また、エストニアの人々にとって、主食であるライ麦に混じり共に育つこの花は、命の伴走者でした。ソ連占領下の苦しい時代、国旗の掲揚を禁じられた彼らは、国旗と同じ色をしたこの青い花を衣服に飾ったり、絵画や手工芸のモチーフに用いたりすることで、自らのアイデンティティと独立への意志を密かに表現したといわれます。当局がこの花の持つ象徴的な力を危惧したとも伝えられますが、民衆の生活に深く根ざしたシンボルを排除することはできませんでした。1988年、再独立の機運が高まる中でヤグルマギクは公式にエストニア国家のシンボルとして確認され、1991年の独立回復へとつながる精神的支柱となったのです。

塹壕に咲く希望と、再生の「ブルー」

フランスのブルーエットのロゴ。青い花の形で、中央に白い円、周囲に赤と青の帯がある。

そしてフランス。この国においてヤグルマギク(仏語:ブルーエ)は、最も神聖な追悼のシンボルです。 第一次世界大戦の折、砲弾によって徹底的に破壊され、泥沼と化した戦場。そこで真っ先に芽吹き、青い花を咲かせたのがヤグルマギクだったといいます。その光景は、死の恐怖にさらされていた兵士たちにとって、生命の再生を告げる希望の光に他なりませんでした。 1916年、軍病院の看護師たちが、傷ついた兵士たちのリハビリのために、布や紙でヤグルマギクのバッジを作るワークショップを始めました。

これが「ブルーエ・ド・フランス(Bleuet de France)」の始まりです。バッジの収益は戦没者の遺児への支援に充てられ、今なおフランスの人々は、休戦記念日などにこの青い花を胸に飾り、平和への祈りを捧げるそうです。 当時、前線に送り込まれる若く未熟な新兵たちの制服は鮮やかな青色をしており、彼らが戦場に咲くヤグルマギクのように見えたことから、ベテラン兵士たちは彼らを親しみを込めて「ブルー(bleuets)」と呼んでいたというのです。

「青い花」が問いかけるもの

ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリスは、その未完の小説『青い花(Heinrich von Ofterdingen)』の中で、到達しえない理想や真理、無限への渇望を「青い花」と呼びました。それは、日常の中に隠された「世界の暗号」を読み解こうとする、「ゼーンズフト(Sehnsucht:無限への渇望、形のないものへの憧れ)」と呼ばれるロマン主義者の内省的な魂の象徴でもあります。 また、イタリアの詩人コッラード・ゴヴォーニ(1884–1965)は、この花を「空と空気の花(fior di cielo e d’aria)」と呼び、その清廉さを称えました。その鮮やかな色は「空」や「天国」を象徴するものと捉えられているのです。

正直に言いましょう。わたしはこれまで、この花をどこにでもある「丈夫で雑草のような花」として見ていました。しかし、ツタンカーメンの棺の中からも見つかったというこの青い花は、数千年にわたり、人々の「祈り」や「再生への願い」をその細い花弁に宿してきたのです。

わたしは何という花をわが家の庭に導き入れたのでしょう。道端のコンクリートの隙間に咲く雑草のような花が、世界ではこんなにも高貴な象徴性をもった花だったとはまったく知る由もありませんでした。

自然界では青い花は少なく珍しいと感じていたので、わたしも家内も、わが家にヤグルマギクが根付いてくれたことを嬉しく思っていました。おそらく、わたしたち人類の祖先も同じ想いを抱いていたのでしょう。かつての王妃が、兵士が、そして名もなき農夫たちが眺めたであろう至高の青い花。

もしかすると、この花をわが家の庭に招き入れたのは、わたしではなく、花の方だったのかもしれません。この青い花の色は、空の色であると同時に、人類が困難な時代を生き抜くために必要とした、不屈の精神を表わす色そのものなのですから。

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